黙れウルトラマン!貴様は宇宙人なのか?人間なのか!?


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ウルトラマン

「両方さ。 貴様のような宇宙の掟を破る奴と戦う為に生まれてきたのだ」

原点にして頂点。ウルトラマンは不慮の事故が原因とはいえ人間と宇宙人が合体した超人だ。名無しの宇宙人でもハヤタでもない。二人が混じりあい新生した超人は宇宙の掟を破るメフィラス星人に自分の存在意義を高らかに宣言する。ウルトラマンがヒーローとして完成したのは「遊星から来た兄弟」だが「禁じられた言葉」でついに限界突破した。

よく作中のハヤタの人格はハヤタ本人なのかウルトラマンが演じてるのか議論になる事がある。正直これは回によって違うのでどっちと言い切るのは難しい。そういう意味でも「両方」だ。

 

 

 

ウルトラマンティガ

「義務とかじゃないよ。俺は人間だから、俺がやれる事をやりたいだけだよ」

第44話や50話で「人間」と言い切っている。ウルトラマンマジンガーZとも言える本作はウルトラマン側に人格が一切存在しない。

光の力はマジンガーZと同じく神にも悪魔にもなれるが、神になり人類を導こうとしたマサキケイゴは力に飲まれて暴走して「影」になってしまった。ならダイゴはなぜ使いこなせたのか?それはマジンガーZの兜甲児同様に「神にも悪魔にもならない。人として最善を尽くすためにこの力を使う」という選択をしているからだ。

ヌークやユザレは「本来ウルトラマンは人間の選択に干渉しない」と言っていたがダイゴの変身するウルトラマンティガ人間なのでバリバリ干渉する

 

 

 

ウルトラマンダイナ

「俺は俺だ。ウルトラマンダイナだ」

最終回で「ウルトラマン」と言い切っている。ウルトラマンダイナの正体は諸説あるが、とりあえず「アスカの勇気に感動した謎の宇宙人」という事にしておこう。*1

序盤から力を持った意味を求めて戦うための理由を探していたアスカ。最終回の二つ前の第49話でもゴンドウに「なぜお前なんだ?」と聞かれて「こっちが聞きてえよ。なんで俺なんだよ」と言っていた。そんなアスカが最終回でグランスフィアに「お前は何者だ」と聞かれて「俺は俺だ、ウルトラマンダイナだ!」と答えていた。ティガとの美しい対比構造である。ではアスカは人の身を捨てたのかというとそれは違う。宇宙人と共生・進化した新人類として現人類を導く先駆者として高らかに名乗りを上げたのだ。

ティガがウルトラマン版のマジンガーZならダイナは「ゲッターロボ號(漫画版)」だろうか。オチとかまんまだもんね。
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ウルトラマンR/B

序盤「ウルトラマンじゃない」

中盤「俺達がウルトラマンだ」

終盤「ウルトラマンじゃない」

劇場版「ぶっちゃけよくわからん」

この体たらくである。論ずる価値無し。

 

 

 

ウルトラマントリガー

ウルトラマンになれるだけの、ただの人間だ」

TV本編だけだと描写がガバガバどころかスカスカでイマイチ主人公のケンゴが何者かよくわからない。だがそんなものはへのつっぱりだ。正直嫌いな作品なのだがエピソードZで明かされたケンゴの正体は正直かなり好きだ。その衝撃の正体は「光が人の形として生まれてきた存在」である。これの何が衝撃かと言うと「かつてウルトラマンだった存在」が生まれ変わる時に「人間になる事を選んだ」からである。

このネタだけは本当に美味しいだけに作品全体の出来が悪いのは惜しい。

 

 

 

シン・ウルトラマン

「両方だ。あえて狭間にいるからこそ見えることもある」

2022年、再び「両方」を名乗るウルトラマンが登場する。しかしこのウルトラマンの人格は明確に「宇宙人」である。人間を必死に演じる宇宙人だ。

一体化した人間・神永の自己犠牲精神が理解できなかったリピア=ウルトラマンガボラとの戦いで光線を胴体で受け止めたりメフィラスとの戦いの後にエネルギーが無くなるまで見守り続けたり、色々試行錯誤して自己犠牲の精神を理解しようとした。ゼットンとの戦いでもウルトラマンは神永の精神を理解する事は出来なかった。しかし死の覚悟と生への渇望を両立し神永だけでも生き残らせようとするウルトラマンの姿を見たゾーフィは彼の心をこう言語化した。

そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン

そう、ウルトラマンは人間が好きだったのだ。もっと突き詰めると人間になりたかったのだ。初代ウルトラマンのリブートでありながらどこか「セブン」的なキャラ付けのウルトラマン。リブート元の初代がガチで「両方」ならば本作は人間になりたい宇宙人だから狭間に立とうとするという意味での「両方」なのだ。

これは「シン」の原作とも言える庵野秀明監督作品「帰ってきたウルトラマン マットアロー出撃命令」のウルトラマンも同じだ。熱核兵器*2で怪獣バグジュエルを倒そうとするMATに反対するハヤカワ=ウルトラマンは隊長に「それでも地球人か?」と言われて本気で落ち込んでしまう。最終的にバグジュエルは倒されるが街には被害が出てしまう。勝利に喜ぶ隊員たちを横目に瓦礫の山となった街を見て立ち止まるハヤカワ。だが再び笑顔で仲間たちの輪の中に戻ってゆく。

地球防衛機構所属 MAT隊員
ハヤカワケン 21歳
彼の正体はウルトラマン
そして、地球人

庵野監督にとってウルトラマンとは堕天使なのだ。宇宙の摂理を守るための上位存在が俗世に染まって人を愛しエゴを確立していく。例えるならば「デビルマン」のサタンが飛鳥了として不動明を愛したように。私も庵野監督と近い考え方をしているのでこの二作と「G(グレート)」で強く感動した。神のような上位存在が人間レベルまで「堕ちる」姿はまさしく私の理想とするウルトラマンだった。

さきほど挙げたトリガーの劇場版もそうだがとにかく「人間になりたい!」もしくは同等の存在になりたいと願うウルトラマンが好きなのだ。

だって俺は人間だから。上位存在に「人間好き!」って言われたらクッソ嬉しいじゃん。そんだけ。

 

 

 

 

*1:そうじゃないと「少年宇宙人」で宇宙人としての立場から喋ってるダイナの説明がつかねえよなあ!?

*2:核兵器ではない。「熱」核兵器だ。これマジで重要。庵野はここ拘るぞ