空想と浪漫。そして、友情。「シン・ウルトラマン 空想特撮映画」感想


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大変おまたせしました。「シン・ウルトラマン 空想特撮映画」の感想です。

 

⚠️注意⚠️

本記事では「シン・ウルトラマン」を褒めちぎります。この作品や庵野監督が苦手な方はブラウザバック推奨します。

 

 

 

まず最初に

庵野・樋口両監督*1、本当にありがとうございました。

私が人生で五本の指に入るくらい好きなウルトラ作品はウルトラマンウルトラセブンウルトラマングレートウルトラマンネクサス

そして「シン・ウルトラマン」だ。

 

 

 

 

1.往年のウルトラマンを思わせる「空想科学」

私は低学歴なので科学のことはさっぱりわからない。しかし過去作のウルトラマンの「空想科学」的な会話を聞いていると「ああ〜なんかそんな気がしてきた…」と納得させられる説得力がある。例えば新マンの宇宙怪獣サータンは「身体が中性子で構成されているから物体をすりぬける事が出来る」なんてかなり無茶苦茶な設定なのだが、登場人物が大真面目に言うものだから納得させられてしまう。

ウルトラマンガイアの「反宇宙からの挑戦」の千葉参謀の「逆ということは反物質で作られた私は女性ということか!?」という科学者ではない視聴者目線に立った天然ボケも愛おしい。

シン・ウルトラマンは「空想特撮映画」を謳っているだけあって往年のウルトラマンを思わせる「空想科学」が今回は兎に角盛りだくさんだ。

 

例を挙げるとネロンガ戦での

「サーモグラフィーカメラなら形状まで丸わかりよ!」「ますます透明な意味ねえじゃん!」「空腹時は透明になって姿を隠し、満腹になれば周囲を威嚇して安全を確保するために姿を現す。理に適ってるよ」

というやり取りは子供でも分かるようになっているし、

外星人メフィラス戦での

「匂いという数値化されない情報でプランクブレーン内を直接探す」や「ウルトラマンはネゲエントロピーがどうのこうので巨体を短時間しか維持できない(うろ覚え)」はウルトラマンあるあるのなるほどわからん状態だった。

天体制圧用最終兵器ゼットンの放つ1テラケルビンの高熱球(一兆度の火球)はかつて空想科学読本(著:柳田理科雄)の「地球だけでなく太陽系を消滅させる威力がある」というネタを拾ったのか本当に太陽系を消滅させる最終兵器として登場した。

 

こういった「空想科学」はニュージェネレーションシリーズになってめっきり減ってしまった*2が、そんな空想科学を現代によみがえらせ、往年のウルトラマンにはあった「観ていると頭が良くなったような気がする」体験をさせてくれたシン・ウルトラマンに感謝。

 

 

 

2.ウルトラマンが美しい

本作品のヒロインである浅見弘子(演:長澤まさみ)は非常にエロティックに撮られている。いきなり女の話かよ?ウルトラマンの話をしろ!と思った人、ちょっと待って欲しい。するから。浅見は何かとケツや脚を強調される事が多く、特に禍特対に初めて来た際の足先をアップにしつつスニーカーからハイヒールに履き替えるシーンは思わず生唾を飲み込んでしまった。*3これは樋口真嗣の趣味でもあるのだろうが、もうひとつ大きな意図がある。f:id:serimetagross:20220616122627j:image

「あれがウルトラマン………“綺麗”…!」
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美しく艶めかしく撮られた浅見が、もっと言うと日本でも指折りの美女である長澤まさみが、人間では到底太刀打ち出来ないほどに美しい姿をした宇宙人に「綺麗」と言うのである。

そして私が個人的にウルトラマンを「綺麗」だと思った瞬間はここだ。

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東京の高層ビルが立ち並ぶ中でザラブと激しい空中戦を繰り広げるシーン。*4

夜のビル街の明かりがウルトラマンの銀色の身体に反射し非常に美しい。これはフルCGで描かれているからこそ出来る技法であり、もし実際のスーツでギラギラした銀色のヒーローを撮影する場合は場合カメラやスタッフが映り込んでしまうリスクがある。例えば宇宙刑事ギャバンウルトラマンノアはスチール写真ではメッキのような光沢のあるスーツだがアクション用はマットな銀色である。

今回のウルトラマンはエネルギーが減ると体色が赤から緑に変わる。これもスーツ合成ならグリーンバックで透過してしまうのだがCGなので問題ない。

兎に角、これはフルCGだからこそ出せる美しさなのだ。

 

3.ウルトラマンがかっこいい

成田亨先生の「真実と正義と美の化身」をそのまま映像化したのがシン・ウルトラマンだ。しかし美しいだけではウルトラマンではない。今回のウルトラマンは美しい以上にかっこいいのだ。

初飛来時こそ不気味で得体の知れない存在だったのだが以降出現したウルトラマンは浅見が言ったように「美しく」私が言うように「かっこいい」のだ。

かっこいいシーンを挙げだしたらキリがないので4つだけ挙げようと思う。

 

ガボラの「激ヤバ光線」を胴体で受け止めるウルトラマン

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これだけ強い光線を受け続けていればウルトラマンの胴体が吹き飛びかねない。しかし放射性物質を食うガボラスペシウム光線を放てばパゴスの時のように周囲を放射能汚染してしまう。神永の「自己犠牲」を見様見真似でやってみているのだろう。

 

・メフィラス戦 光線白刃取り

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本家「ウルトラマン」ではケロニア戦で披露した防御技で今回はメフィラスのグリップビーム*5を白刃取りした。初代マン以外はまずやらない離れ業なのだが庵野・樋口はこれを「初代マンのかっこいいアクション」として取り入れてくれた。ありがとう。

 

メフィラス戦後 「見守る」ためだけに活動限界時間まで巨大化し続けるシーン
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禍特対の皆を安心させるためだけに体力の限界まで見守り続けるシーン。人間から学んだ優しさが全面に出ていて思い出すだけでウルっと来る。

 

ゼットン

「為せば成る 為さねばならぬ何事も。やってみるだけだ」*6と言って挑んだゼットンは途方もなく強い。私もあまりの恐怖に涙してしまった。小さい頃に見たゾグ第二形態よりも恐ろしかった。しかしそんな相手にもウルトラマンは敢然と立ち向かい鉄壁のシャッターバリアを張られても八つ裂き光輪を巨大化したり細かくして発射したり、どこかにバリアの抜け道がないか諦めずに試し続ける。結果的に負けてしまったがウルトラマンの絶対に諦めない姿勢は涙を誘う。

 

 

 

4.そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン

極端な事を言うと本作はこのシーンのためにだけに作られた映画であり、二時間の尺をフル活用してリピア(ウルトラマン)が人間を愛していく過程を描く作品なのだ。

ザラブに拉致される直前のやりとりでは「人間には賢明な部分もある。そう上手くは行かない」と、

メフィラスと居酒屋で話している時は「弱くて群れる生き物を守りたい」と言っていた。

ここまではまだ「守るべき命」としてどこか「神の視点」であり「下に見ている」節があった。

しかし、最終的にはゼットンに絶望する禍特対に対し、人類の知恵と力と勇気で一からベータボックス作り出すよう促し「我々と同じ生命体」「君たちの全てに期待する」人類を対等な存在である事を示した。

ウルトラマン神であることを捨てたのだ。

ラストでは「人間になりたいと思った」とまで言っていたがこれに対しゾーフィが返したのは

「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン

という言葉である。そう、ゾーフィはウルトラマンに対し「好き」という感情を教えたのだ。

同じ庵野作品のエヴァで例えるなら

ウルトラマン「僕は人間といるとぽかぽかする。人間にもぽかぽかになってもらいたい」

ゾーフィ「それって好きって事じゃん!」

である。エヴァ自体が庵野ウルトラマンのような節があるため根っこは同じなのだ。シン・ウルトラマンの全てはこのシーンのためだけにあるのだ。

 

 

 

5.ウルトラマンは神ではない

私が本作を評価している一番の理由はここである。

前提としてウルトラマンは神である。これは大前提だ。私はシリーズ通してウルトラマンを人間を導く上位存在だと思っている。中でも私の一番好きなウルトラマンであるグレートは人間がやりなおす可能性を信じ地球さえも敵に回し人間にもう一度チャンスを与えた。その動機は一体化しているジャック・シンドーとの個人的な友情であり、シンドーは言うなれば「神と友達になった男」なのだ。

今作のウルトラマン・リピアも人類に可能性を見出し自らの故郷「光の星」さえも敵に回し地球の友を守るために命を懸けた。前述の通りリピア本人は自覚していなかったが人間が大好きなのだ。

だから神の立場から降り、「生への渇望と死の覚悟を両立した存在」・人間*7になろうとした。

ウルトラマンは神ではない」というセリフ自体は劇場版メビウスで使われていたが、言わばやむを得ない犠牲に対する開き直りのようなものでそれをあろうことかウルトラマン本人に言わせていた。
神かどうかは神自身が決めることではない。神とは人の信仰によって生まれるものである。
少なくともウルトラマンは人間目線では超越者であり神のような存在なのは間違いないのだ。

しかし今作においての「ウルトラマンは万能の神ではない」は意味合いが全く違った。

「君たちと同じ命を持った生き物だ」「我々と同じ領域に来られると期待している」という意味だ。
もっと噛み砕くと神頼みする人類に対して「俺達に出来ることが人間に出来ないわけがないだろ!」と激励し高みに導いてくれるのである。
同じようにメビウスで例えるならばサコミズを助けた時のゾフィー*8「やがて君たちも、我々と肩を並べる時が来るだろう。次に会う時が楽しみだ」をさらに発展させたセリフだと思う。

 

 

 

最後に。

「シン・ウルトラマン

私の好きな映画です。

 

 

 

 

*1:庵野は総監修なので実質監督

*2:ウルトラマンZは制作発表の時にやたらとSF路線を推していたが、その時に流されたユカの「身長50mのヒューマノイドタイプのエイリアン!?」というセリフはお粗末なものだった

*3:樋口真嗣ほどの監督になれば長澤まさみレベルの美人も性的搾取できる。どこの馬の骨かわからん女優やその辺のグラドルしか性的搾取できない坂本浩一との格の違いを見せつけてくれた

*4:構図や使用曲がほとんど同じでさながら18話のブローアップ版ともいえる

*5:実は本編未使用技

*6:ことわざを引用するメフィラスから受けた良い影響だろうか?

*7:人間賛歌は勇気の賛歌 人間のすばらしさは勇気のすばらしさ

*8:皮肉にも今作のラスボスは「ゾーフィ」。恐らく意図的なものだろう